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2015年12月1日火曜日

【研究ノート】 兵器を捨て降伏する者の殺傷は絶対的な禁止事項か?

メモ

本文「2.陸戦規則それ自体の解釈」より抜粋して引用

 このように国際法学者の間では、陸戦規則23条ハは絶対的な禁則ではなく、殺傷が許容される場合があると解釈されています。特に注目したいのは、信夫説、足立説にみられる、部分的な抵抗を理由とした禁則の解除の主張です。信夫説はスペイト(スペート)の学説を一歩押し進めて、少しでも抵抗を続ける者がいれば、敵軍(敵部隊)の投降を拒絶できる、と論じています。

信濃注:これが余命さんの言う「降伏拒否宣言」の根拠か?その1
「少しでも抵抗を続ける者がいれば、敵軍(敵部隊)の投降を拒絶できる」

「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト」とは、「兵器を置き(敵軍の眼前で武装を放棄し)あるいは自衛の手段が尽きたことを敵軍に対し明らかにして降伏を表明した敵部隊を殺傷すること」を禁止する規定と考えるべきです。(自衛の手段が尽きたと口頭で述べても敵がそれを信用しなければならない理由はありませんから、結局のところ敵軍の眼前で武器を手放す――例えば銃から手を離して両手を挙げる――ことが必要でしょう。)

信濃注:これが余命さんの言う「降伏拒否宣言」の根拠か?その2
「兵器を置き(敵軍の眼前で武装を放棄し)、あるいは自衛の手段が尽きたことを敵軍に対し明らかにして降伏を表明した敵部隊」

 第23条ハは元々、指揮官の命令で一斉に降伏し、それ以上反撃を受ける懸念の無い部隊に対して、復讐心・敵愾心に駆られた攻撃を加えてはならないという趣旨であって、自軍を危険に曝してまで敵軍兵士を保護しなければならないという趣旨ではないと考えられます。(中略)
 それと、使用可能な兵器を隠し持っている者は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キ」ている者とは見做されないことを追加しておきます。

信濃注:これが余命さんの言う「降伏拒否宣言」の根拠か?その3
「指揮官の命令で一斉に降伏し、それ以上反撃を受ける懸念の無い部隊に対して、復讐心・敵愾心に駆られた攻撃を加えてはならないという趣旨であって、自軍を危険に曝してまで敵軍兵士を保護しなければならないという趣旨ではない」
「使用可能な兵器を隠し持っている者は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キ」ている者とは見做されない」





以下、本文

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「「南京大虐殺」はWGIPのメインテーマです」様
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/NankingWGIP.html#menu

「兵器を捨て降伏する者の殺傷は絶対的な禁止事項か?
陸戦規則第23条ハの規定と佐々木私記・第33聯隊戦闘詳報に関する考察」より全文引用
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_02.html



 南京戦において、例えば「佐々木到一少将私記」(以下「佐々木私記」という)12月13日の記述

『・・・・その後俘虜続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。・・・・』

が、「陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則」(以下「陸戦規則」という)第23条ハの規定

『兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト』(To kill or wound an enemy who, having laid down his arms, or having no longer means of defence, has surrendered at discretion

の禁則に違反する虐殺行為だとする主張があります。

 この佐々木私記の記述は著しく正確性を欠き、また事態の認識を誤っているものですが、佐々木私記の是非については末尾で簡単に触れることとしまして、ここでは主に、陸戦規則第23条ハが絶対的な禁止事項かどうか、例外があるとすればどのようなケースがそれに当たるかについて検討してみることにします。

信濃注:陸戦規則第23条ハ
兵器を捨て、または自衛手段が尽きて降伏を乞う敵兵を殺傷すること。
(以上)



1.国際法学者の学説

 まず最初に、当該規定に関する国際法学者の学説を見てみることにします。
 引用した陸戦規則は1907年のものですが、1899年の条約でも同趣旨の規定が設けられていました。
 そこで、1899年条約成立から1929年「俘虜ノ待遇ニ關スル條約」(以下「俘虜条約」という)成立まで、俘虜条約成立から「捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約」(以下「第三条約」という)成立まで、第三条約成立から「千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書」(以下「第一追加議定書」という)成立までの四時期における著作から一つずつ学説を引用してみたいと思います。
(引用に当り、旧字体を新字体に書き換えてあります)

(1)高橋作衛,遠藤源六述『戦時国際法講義』〔明39〕

・・・・然レトモ戦争ノ勝敗ハ機微ノ間ニ在リ各軍ハ其安全ヲ犠牲トシテモ尚敵ヲ殺戮スルコト能ハスト云フハ実際ニ於テ適用シ難キ議論ナリ尤モ投降シタル者ハ反撃又ハ其ノ他不穏ノ行動ヲ為シ勝者ヲ死地ニ陥ルル如キ不信義ナカルヘキモ是レ絶対的ニ保証セラルヘキモノニ非ス故ニ自衛ノ為メ必要ナル場合ニ於テハ投降ヲ容レス之ヲ殺戮スルコトヲ得ヘキモノト云ハサルヲ得ス唯感情ノ結果殺戮スルヲ不当トスルノミ

(2)信夫淳平著『戦時国際法提要』〔1943年〕

第三目 乞降兵の殺傷及び不助命の宣言

五〇九
 ハ号の禁止は『兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト』で、これは人道上当然の要求であり、又武士の屑しとせざる所である。窮鳥懐に入らば猟夫も之を助ける。況して力尽きたる敵兵に対しては尚ほさらである。
 乞降の敵を殺傷すべからざることは必しも仁慈主義からのみではなく、法理も亦爾爾之を命ずるのである。抑も人が権利として他人を殺すを得るのは、兵が戦場に於て敵に対抗する場合と、獄吏が法に従ひ死刑を執行する場合とのみである。自衛行為にて加害者を殺すことも法律は之を認むるが、これは殺人の権利といふよりも、ただ法律が之を寛恕する迄のものと見るを当れりとする。
 兎に角兵が戦場に於て敵を殺害するのは何故に適法であるかと云へば、我方の国家意思の遂行に対し彼れ兵器を手にして抵抗するの意思あるものと推定するからである。故に敵兵とても既に兵器を棄て、抵抗の意思を抛つた以上は、我れ彼を殺すの権利も茲に終絶したものと謂ふべく、随つて乞降の敵兵は我れ啻に之を殺傷すべからざるのみならず、之を殺傷するを得ざるものとの法理も立つ訳である。

五一〇
 さりながら敵にして降を乞ふ最後の瞬間まで頑強に抵抗し、最後の一発を打終って已むなく乞降したる敵に対してはどうであるか。これは南阿の役に屡々見たる所で(第一次大戦中も独逸兵の中には往々そういふのがあった由である)、斯かる乞降は助くべきものか否かが常時問題となった。
 ベイチ博士は『敵が乞降の最後の瞬間まで銃を発射するは敢て問ふ所でない。兵としてはそれが義務で、敵は当然之を期待せねばならぬ。敵が乞降の僅前まで銃を有効に発射せりとの故を以て之を銃殺するは富らす。』と説く(Baty, Int. Law in S.A, p.84)。
 これは理に於ては当然過ぎるほど当然である。さりながら実際問題としては、敵が乞降の最後の瞬間まで頑強に抵抗し、味方の戦友にして之がために戦場に倒れたるもの数知れずといふ場合に、その乞降兵の処分に斟酌を加ふるが如きは事実可能であらうか。又その必要があるであらうか。頑強の抵抗者は当然助命の要求権を放棄せるものとも云へるではあるまいか。又事実最後まで頑強に抵抗する敵に対しては勿論のこと、会々その中に若干の乞降者ありとしても、一々之を識別して助命の斟酌を之に加ふるなどは、戦場の実情が之を許すまい。
 例へば敵が塹壕に拠りて頑強に抵抗し、我方之を撃破すべくそこに突入し、或は手榴弾を投し、或は銃剣にて敵を縦横に斬捲くる際にありては、敵の兵器を捨て降を乞ふ者と否とを識別するの余裕ある筈は無い。最後の瞬間に於て乞降着の助命に気を取られたり、俘虜として収容することに力を殺いだのでは、急ぎ抵抗者に止めを刺すに機を逸し、作戦上の迅速なる奏効を狂はすことにもなるから、獅子猛進の突撃兵としてそれを顧慮などの遑なく、必然壕内の敵兵を十把一束的に殺傷するは勢の到底避け難き所で、それは作戦上の絶対必要が命ずるのであるから、之を違法視するは当らない

五一一
 勿論敵陣の一部隊が全員挙つて明確に乞降の合図をしたならば、攻撃隊は之を助命すべきのが原則である。けれども塹壕襲撃の場合の如きには総てをこの例に求めしむるは難く、又敵兵の大部分が乞降するにしても、仆れて已むまで依然抵抗する勇敢の小部分もあるべく、その場合には乞降者も勇敢の戦友のために犠牲となるは勢の避け難き所であらう。
 乞降は多くは白旗を挙げて合図するが、その白旗は之を挙げたる軍隊に限り、且その隊所属の各兵が悉く抵抗を止めたる場合に限り保護の効あるもので、たとひ之を挙ぐるにしても、スペイトが云へる如く、『戦闘の酣なる際に敵兵中の小部分が白旗を挙ぐるも、大部分が尚ほ依然抵抗する間は、攻撃側の指揮官は何等之を顧念するを要せずと為すのを最安全の法則』(Spaight, Land War, p.93)と見るべきである。
 いや反対に、大部分が白旗を挙ぐるも、小部分とはいへ尚ほ抵抗する敵兵ある限りは、乞降の意思の不統制に由る責は我方之を負ふべき筋合でないとして、その白旗に我方亦敢て顧念するの要なしと解したいこの見解聊か酷に失するの嫌あらんが、苟も一人にても抵抗者ある限りは、我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。勿論敵の乞降者と抵抗者とを判明に識別し得るの余力が我方に綽々として存せば別論である。

(3)田岡良一著『国際法Ⅲ』〔1973年〕

・・・・例えばハーグ陸戦条規第二三条(二)号「no quarter」を宣言することの禁止(投降者不助命を宣言することの禁止)は、何人も知るように「軍事的必要条項」を含んでいない。
 しかるにウェストレークの戦時国際法によれば、

この規定が実行不能な場合として一般に承認されているのは、戦闘の継続中に起る場合である。このとき投降者を収容するために軍を停め、敵軍を切断し突撃することを中止すれば、勝利の達成は妨害せられ、時として危うくされるであろう。のみならず戦闘の継続中には、捕虜をして再び敵軍に復帰せしめないように拘束することが実行不可能な場合が多い」。

 この言葉は、戦争法に遵って行動しては勝利の獲得が困難な場合には、法を離れて行動することを許すものではあるまいか。戦争法が戦術的または戦略的目的の達成を妨げる障壁をなす場合にほ、法の障壁を乗り越えることを許すものではあるまいか。
 またオッペンハイム国際法の戦時の部にも

投降者の助命は、次の場合に拒否しても差支えない、第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、第二は、敵の戦争法違反に対する報復として、第三は、緊急必要の場合において(in case of imperative necessity)すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危くされる場合においてである

という一句がある。但しオッペンハイムの死後の版(第四版)の校訂者マックネーアは、第三の緊急必要の場合云々を削り去り、その後の版もこれに倣っている。恐らく校訂者は、この一句が戦数についてオッペンハイムの論ずるところと両立しないと認めたからであろう。両立しないことは確かである。しかし陸戦条規第二三条(二)号の解釈としては、右のオッペンハイムおよびウェストレークの見解が正しいことは疑いを容れない。
 この見解は多数の戦争法研究者によって支持されるところであり、戦数を肯定する嫌いのあるドイツ学者の説の引用を避けて、ただイギリスの学者の説のみをたずねても、戦争法の権威スぺートはその陸戦法に関する名著「陸上における交戦権」のなかに、投降者の助命が戦時の実際において行われ難く、かつその止むを得ない場合があることを論じ、また投降を許して収容した捕虜さえも、軍の行動の必要によって皆殺するの止むをえぬ場合があることは、ローレンスが、一七九九年ナポレオン軍によるトルコ・ジャッファ守備隊四千人の皆殺の例を引いて説くところである。・・・・

(註:この箇所は第23条ニ「助命セサルコトヲ宣言スルコト」に関する論述ですが、内容が降伏を受入れず攻撃を続行できるケースについて論じられていますので、ハの規定にも関連していると考えこの箇所を引用しました)

(4)足立純夫著『現代戦争法規論』〔1979年〕

 陸戦規則第23条は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト」を禁止し、一旦敵人員が降伏の意思を示した以上は、軍事上の必要性をもってするも、この禁止規則を無視することは許されず、敵人員の降伏の時をもって実力行使を停止すべき明確な一線をここに設けている。
 この規定に拘らず、敵部隊が降伏記号たる白旗を掲げた場合には、事態により敵に対する射撃を中止する必要はなく、また、敵部隊の指揮官が麾下部隊に全面降伏を命じた後において、その命令に反して射撃を中止しない敵人員がいる場合には、それに対し引続き攻撃を加えることができる。



2.陸戦規則それ自体の解釈

 このように国際法学者の間では、陸戦規則23条ハは絶対的な禁則ではなく、殺傷が許容される場合があると解釈されています。特に注目したいのは、信夫説、足立説にみられる、部分的な抵抗を理由とした禁則の解除の主張です。信夫説はスペイト(スペート)の学説を一歩押し進めて、少しでも抵抗を続ける者がいれば、敵軍(敵部隊)の投降を拒絶できる、と論じています。

(信濃注:これが余命さんの言う「降伏拒否宣言」の根拠か?その1 「少しでも抵抗を続ける者がいれば、敵軍(敵部隊)の投降を拒絶できる」)

 足立説も指揮官による部隊単位の投降を所与として、指揮官の命令に背き抵抗を続ける者の存在を条件に投降を拒絶できると論じています。
 これは戦数論として否定される傾向の強い「軍事的な必要性による交戦法規からの逸脱」なのでしょうか?それとも、陸戦規則それ自体が想定する例外事態なのでしょうか?
 ここで、陸戦規則の条文そのものに立ち返ってみます。

第二三條 特別ノ條約ヲ以テ定メタル禁止ノ外特ニ禁止スルモノ左ノ如シ
・・・・・・・・
ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト
[(c) To kill or wound an enemy who, having laid down his arms, or having no longer means of defence, has surrendered at discretion;]
・・・・・・・・

 ここで、「敵」が“an enemy”と単数形になっていることに注目して下さい。
 “an enemy”は対象が人である場合、通常、個々の敵(兵)を指します。
 “the enemy”であれば集合概念の「敵軍」です。
 従って、凡例に基づき解釈すれば、この条文は個々の敵兵につき、武器を置いて降伏の意思を示した者は殺傷してはならないということになります。そうなるとスペート説、信夫説、足立説は軍事上の必要性による交戦法規逸脱となります。
(尚「兵器ヲ捨テ」は “having laid down his arms” ですから、「兵器を置いて」の方が訳語としては適切でしょう。この条文では見えないところで武器を捨てることは想定されていません。敵軍の見ている前で武器を置き、武装を放棄したことを明らかにして始めて投降が認められることを意味しています。)
 しかしこの解釈を厳密に当てはめると、交戦者は戦闘中に敵軍の中から投降者を個別に識別し、精密な照準を以て投降者を避けて攻撃しなければならないことになります。信夫博士も指摘するように、これは余りにも非現実的な規定です。非戦闘員ですら、戦闘員と区別が困難な場合は合法的な攻撃対象とされていますから、この厳密な解釈では、投降者は非戦闘員より強く保護されなければならないということです。
 この規定は、現実の戦闘では遵守が事実上不可能な、破られるためにある規則となってしまいます。

 以上の解釈は、“an enemy”を「一人の敵兵」と訳することによりもたらされるものです。
 では、“an enemy”が凡例と違い、“the enemy”と同様集合的な概念で使用されていると解釈すればどうでしょうか。陸戦規則の他の条文では、保護対象となる捕虜を表現する際、複数形が多く用いられています
 例えば、第4条の「俘虜ハ敵ノ政府ノ權内ニ屬シ」は
 Prisoners of war are in the power of the hostile Government,
 第5条~第8条の「俘虜」も“Prisoners of war”と複数形で表現されています。
 第11条では「俘虜ハ宣誓解放ノ受諾ヲ強制セラルルコトナク」が
 A prisoner of war cannot be compelled to accept his liberty on parole
と単数形で表現されていますが、これは宣誓開放という一人一人が別々に行う行為について定めたものですから、集団を相手にする投降のようなケースとは性質が異なります。
 そして第12条では再び「宣誓解放ヲ受ケタル俘虜」を“Prisoners of war liberated on parole”と複数形で表現しています。

 陸戦規則は投降が受け入れられ収容された捕虜を集団として表現しています。ならば投降兵もまた、集団として認識され表現されていると考えてもおかしくはありません。そして“an enemy”を「敵軍」「敵部隊」と解釈すれば、事実上不可能と見える規定が実行可能なものとなり、信夫説、足立説も条文の想定した範囲内で無理なく適用できます
 陸戦規則Art.23 (c)において“enemies”ではなく“an enemy”と単数形が使われているのは、部隊が一体のものとして一斉に投降することを確立された慣習として前提にしているからではないでしょうか。敵軍が指揮官の命令に従い一斉に投降し、指揮官の統率下それ以上の反撃がないと信じることができれば、直前まで戦闘状態にあった軍隊も安心して投降兵を収容できます。

兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ降ヲ乞ヘル敵ヲ殺傷スルコト」とは、「兵器を置き(敵軍の眼前で武装を放棄し)あるいは自衛の手段が尽きたことを敵軍に対し明らかにして降伏を表明した敵部隊を殺傷することを禁止する規定と考えるべきです。(自衛の手段が尽きたと口頭で述べても敵がそれを信用しなければならない理由はありませんから、結局のところ敵軍の眼前で武器を手放す――例えば銃から手を離して両手を挙げる――ことが必要でしょう。)
(信濃注:これが余命さんの言う「降伏拒否宣言」の根拠か?その2 「兵器を置き(敵軍の眼前で武装を放棄し)、あるいは自衛の手段が尽きたことを敵軍に対し明らかにして降伏を表明した敵部隊」)

 第23条ハは元々、指揮官の命令で一斉に降伏し、それ以上反撃を受ける懸念の無い部隊に対して、復讐心・敵愾心に駆られた攻撃を加えてはならないという趣旨であって、自軍を危険に曝してまで敵軍兵士を保護しなければならないという趣旨ではないと考えられます。
 念の為にお断りしておきますが、“an enemy”を集合的に解釈するというのは私独自のものであり、国際法学者の認めるところではありません。信夫博士も『戦時国際法提要』において、“an enemy”を個別の兵士と解釈し、第23条ハを厳密に遵守することは事実上不可能と結論付けています。私がここで述べているのは、“an enemy”を集合的に解釈することで、国際法学者の学説と条文が矛盾無く両立し、現実の戦闘にも無理なく適用できるということです。
 それと、使用可能な兵器を隠し持っている者は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キ」ている者とは見做されないことを追加しておきます。
(信濃注:これが余命さんの言う「降伏拒否宣言」の根拠か?その3 「指揮官の命令で一斉に降伏し、それ以上反撃を受ける懸念の無い部隊に対して、復讐心・敵愾心に駆られた攻撃を加えてはならないという趣旨であって、自軍を危険に曝してまで敵軍兵士を保護しなければならないという趣旨ではない」、「使用可能な兵器を隠し持っている者は「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キ」ている者とは見做されない」)



3.佐々木私記・第33聯隊戦闘詳報に関する若干の考察

 捕虜殺害の根拠として出される佐々木私記の記述はこちらからご覧下さい。
 第33聯隊戦闘詳報はこちらです。

 戦闘詳報本文には残存する敵兵を掃蕩しながら前進した記述のみで、捕虜収容の状況も記録されていません。第33聯隊戦闘詳報附表にも収容・処断の状況・方法については全く記録されていません。(第38聯隊戦闘詳報附表には仙鶴門鎮における捕虜獲得の状況について記されています。)
 それどころか、戦闘詳報の本文には俘虜3,096名を処断したとは書かれていません附表備考にも単に「俘虜ハ処断ス」と記されているのみです。俘虜3,096名にしたところで、俘虜の欄に「将校」「準士官・下士官兵」「馬匹」の区分があり、員数として14、3,082、52という数字が記載されているだけです。「俘虜」が厳密な意味で用いられているなら、馬匹は俘虜ではありませんからこの表は書式からして誤りです
 一方の佐々木私記ですが、まず指摘しておかなければならないのは、既に多くの論者によって散々指摘されている通り、「俘虜」の用語が正しく用いられていないということです。

「・・・・午後二時頃概して掃蕩を終って背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進して和平門に至る。
 その後俘虜続々投降し来り、数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。・・・・」

 佐々木私記にはこの様に書かれていますが、「俘虜」は投降しません敵兵が投降し、収容されて「俘虜」になるのであって、「俘虜続々投降し来り」というのは明らかに「俘虜」の用法を間違っています正しくは「敵兵続々投降し来り」「敗残兵続々投降し来り」です
 旅団長からして間違えているくらいですから、公文書とはいえ戦地で作成する速報に過ぎない戦闘詳報が「俘虜」という用語を正しく厳密に使用しているとは思えません。現に、同じ第33聯隊戦闘詳報には、中国軍が防衛陣地を「占領」していた、という表現が用いられています。「占領」は攻撃側の行為であって、守備側の行為を「占領」と表現するのが間違いであることは言うまでもありません。戦闘詳報は国際法上の用語を厳密に使用して綴られた物ではないのです

 佐々木私記に話を戻します。
 佐々木私記には敵兵の投降状況が「続々投降し来り」と記されています。つまり、この時の投降は指揮官の統率下で一斉に行われたものではなく投降した兵士と投降していない兵士が並存する状態だったということです。例え実際に撃って来ていなくても、こちらが投降兵の受入をやっている最中に投降していない残りの兵が攻撃してこないという保障は何処にもありませんから、これは信夫説の投降拒否が許される状態に当たります
 戦闘詳報に書かれていない敵兵投降の状況が佐々木私記に書かれた通りだとすれば、俘虜の殺害ではなくバラバラに投降してきた敵兵を殺害したものであり、この無秩序な投降は受け入れる必要の無いものです。それに加えて、中国兵は投降しても懐中に武器を隠し持っている事例が多々あった、という証言、拘束した投降兵が隠し持っていた武器で反撃に及んだという証言もあります。
 陸戦規則第23条ハは「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キ」が条件ですから、兵器を隠し持っている者には適用されません。兵器を隠し持っているかどうかは身体検査をしてみなければ分かりませんから、投降兵を受け入れた部隊は身体検査終了まで隠し持った武器で攻撃される虞があります
 このリスクは常に存在するのですが、通常、交戦法規・慣例を遵守する軍隊は武器を公然と携帯し、投降の際は武器を隠し持ったりせず、投降したと見せかけて反撃に転じたりはしないものですから、一斉に投降を表明し公然と顕示された武装を放棄した敵部隊については、隠し武器による騙し討ちを受ける虞なしと判断して投降を受け入れることができます。
 ところが南京防衛軍は、この交戦法規・慣例を度々破っていました。同じ南京防衛軍による背信行為を何度も目の当たりにして尚、敵兵のモラルを一方的に信頼しなければならないという道理はありません。島田氏の残した『「敵を殺さなければ、次の瞬間、こちらが殺される」という切実な論理に従って行動したのが偽らざる実態である。』という証言は、現場の人間の偽らざる実感だったと思われます。
 佐々木私記は「激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ」と書いていますが、これは敵愾心や復讐心に激昂したということではなく騙し討ちにされる危機感に駆り立てられた興奮状態だったことが島田氏の証言から分かります。復讐心や食糧不足から投降兵を攻撃したのではなく、中国兵に対する不信から来た自衛行動なのです。(佐々木少将は機関銃を撃ちまくりながら突撃してくる敵兵から「鉄砲を取り上げろ」と命令してしまうような、現場の実情に疎い面がありました。)
 中国軍は交戦法規・慣例の不徹底により、あるいは意図的な背信行為により、陸戦規則第23条ハによる救済を受ける権利を喪失していたのです。(※武器を公然と携帯しない敵対者には交戦者資格が認められず、捕虜としての保護を受ける権利もありませんが。)
 尚、戦闘詳報第三号附表は12月10日から12月14日までの鹵獲実績ですから、「俘虜」の中には14日に摘出した便衣兵も含まれていると思われます。厳密な意味で俘虜として収容する前に便衣兵を処分することの是非については、「便衣兵の「処刑」に裁判は必要だったのか」で論じたとおりです。



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改訂履歴
なし

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