余命3年時事日記 まとめ年表(日米中露韓朝、日米中韓が中心)
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1993年8月4日 河野官房長官(宮沢内閣)、慰安婦関係調査結果発表に関する河野談話
・いわゆる「従軍慰安婦」問題の原点
・「慰安所の設置、管理、慰安婦の移送は、旧日本軍が直接、間接にこれに関与」
・「慰安婦の募集は、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たった」
・「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くある」
・「更に、官憲等が直接これ(募集)に加担したこともあった」
・「慰安所の生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」
・2014年6月20日、日本政府が公開した検証結果報告書では、「事前に韓国側との文言調整があったこと」、「慰安婦証言の裏付け調査を行っていなかったこと」、「韓国との文言調整があったことは日韓両国にて非公開とされたこと」、が明らかになっている
以下、資料
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wikipedia-
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90%E6%9E%9C%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%86%85%E9%96%A3%E5%AE%98%E6%88%BF%E9%95%B7%E5%AE%98%E8%AB%87%E8%A9%B1
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話は、1993年(平成5年)8月4日、河野洋平内閣官房長官が発表した談話。当時の内閣(宮澤改造内閣)の意思として発表されたが、閣議決定はされていない。略称は河野談話(こうのだんわ)。
概要
この談話は、同日に内閣官房内閣外政審議室から発表された文書「いわゆる従軍慰安婦問題について」[1]を受けて発表された。原案は、当時の内閣外政審議室長である谷野作太郎が「言葉遣いも含めて中心になって作成した」[2]。
談話では、慰安所の設置は日本軍が要請し、直接・間接に関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者(日本人・朝鮮人)が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に官憲等が直接これに加担したこともあったこと、慰安所の生活は強制的な状況の下で痛ましいものであったとしているされている。
日本政府による調査結果と談話が発表される前年の1992年(平成4年)7月6日には、宮澤内閣の加藤紘一内閣官房長官が、「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表」[3]を発表している。
当時の慰安婦問題は、韓国挺身隊問題対策協議会などが主張する慰安婦が強制連行されたという主張について、韓国政府が日本政府に真相の究明を求め[4][5]、日本政府は強制の裏付ける資料が発見できずに対応に苦慮する状態だった[6]。
河野は事態を打開するため、7月26日から30日にかけて、韓国の太平洋戦争遺族会から紹介された16人の慰安婦に聞き取り調査を実施し[7][8]、慰安婦の強制性を認め謝罪する(「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」の発表に至った。
2014年(平成26年)6月20日に、日本政府によって公開された検証結果報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯~河野談話作成からアジア女性基金まで~」(河野談話作成過程等に関する検討チーム)では、事前に韓国側との文言調整があったこと、慰安婦証言の裏付け調査を行っていなかったことが明らかになっている[9][10]。また、韓国との文言調整があったことは、日韓両国にて非公開とされたことも明らかになっている[10]。
日本の世論
読売新聞が2013年(平成25年)7月22日から23日に行った世論調査では、河野談話を「見直すべき」とする意見が42%、「見直す必要はない」とする意見は35%であった[31]。
産経新聞とFNNが2014年(平成26年)2月22日から23日に行った世論調査では、河野談話を「見直すべきだ」との回答が58.6%、「見直すべきだと思わない」との回答は23.8%であった[32]。この世論調査では、談話検証について安倍内閣の支持層では「検証すべきだ」は支持層で70.3%、不支持層でも65.5%だった[33]。
2014年6月28日から29日にかけて、産経新聞とFNNが行った世論調査では、河野談話を見直すべきとの意見は、自民党支持層では55.6%、日本維新の会支持層では7割前後と、保守層では5割を超えた。左派政党の社民党支持層でも、過半数の55.6%が見直すべきと答えている。他、公明党支持層が47.9%、民主党支持層が41.9%、共産党支持層では35.3%が見直すべきと回答した[34]。
テレビ朝日の報道ステーションが2014年(平成26年)3月29日から30日に行った世論調査では、河野談話を安倍内閣が検証し直す動きについて、「評価する」が48%、「評価しない」が28%であった[35]。
影響
河野談話では軍の関与を認め「おわびと反省」を表明したが、これにより「日本政府が旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた」という理解が広まった[36]。
談話が発表された当時は保守派からも河野談話を評価する向きがあった。
保守系論客の上坂冬子は、首相(当時)の細川護熙による日本が誤った侵略戦争を行ったという発言に対し、「何と粗雑にして迂闊な発言であろうか」と批判し、それとの比較で、宮澤前内閣での河野談話を「近年、稀にみる名文といってよい。相手方のささくれ立った気をしずめ、同時にこちらとして外せないポイントだけはさりげなく押さえて、見事な和解にこぎつけている」と評価している[37]。
河野談話を受けて、1994年(平成6年)8月31日に、内閣総理大臣の村山富市が「「平和友好交流計画」に関する村山内閣総理大臣の談話」[38]の中で、「いわゆる従軍慰安婦問題」に関して「心からの深い反省とお詫びの気持ち」を表し、平和友好交流計画の実施を表明している。この計画のひとつとして、1995年(平成7年)7月には、女性のためのアジア平和国民基金が発足し、元「慰安婦」に対する償い事業を行っている。
その後、歴代首相は、韓国に対し謝罪を行っている。
2007年、アメリカ合衆国下院において、慰安婦問題に関する対日非難決議案を提出した民主党議員のマイク・ホンダは、強制連行の根拠のひとつとして『官憲等が直接これに加担したこともあったこと』と述べており、「河野談話で日本政府が認めた」こととしている[39](実際は前に記すように韓国人慰安婦のことではなく白馬事件のこと)。
なお上述したように、談話発表の際に「補償は不要」としていた韓国側は、直接的な請求については行っていないものの、元慰安婦が起こす賠償訴訟については間接的な支援を行っている[40]。また、現在では、国会議員が日本政府に対して慰安婦に対する謝罪・賠償を要求するといった事例も見られるようになっている。
第2次安倍内閣による再検証
安倍晋三は河野談話の見直しを主張していたが、第46回衆議院議員総選挙自民党の公約には河野談話に関する記載はない。総理就任後には「官房長官が判断すべきこと」とし、内閣官房長官の菅義偉は河野談話の見直しを否定している[52]。
2013年5月7日、第2次安倍内閣は日本共産党の紙智子が提出した、「東京裁判関係文書(国立公文書館)の中に、強制連行の証拠書類が残されていることが判明しており、戦争犯罪の事実を重く受け止めるべきだ」という質問主意書[53]に対し、慰安婦問題で「新しい資料が発見される可能性はある」とする答弁書を閣議決定した[54]。
2014年3月14日、安倍首相は河野談話を見直さないと明言した。韓国政府はこの対応を評価した[55]。
河野洋平の参考人招致要求
国民の生活が第一所属の外山斎(現・維新の党)が
「私は、この河野談話が歴史を歪め、そしてさらに言えば、今日の日韓の関係を間違った方向に導いたのではないかというふうに感じております。」
「どうして証拠も無いのに、この河野談話というものを野田内閣は踏襲されるのか」
「無いけど、まあ、韓国側の従軍慰安婦と言われる方々の証言だけを元に日本政府はこの河野談話を発表した。私はこれは大変問題だというふうに思っています。」
「この談話の中には、「甘言、強圧によるなど本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」っていうふうに書かれているんです。要はこれは強制連行を示しているというふうに思いますが、この文言だけで、もう私は否定するべきだと思います」
と述べて、河野洋平の参考人招致を要求した。
これに対して、予算委員長は「後刻理事会で協議を致します。」と回答、理事会で同じ党の森裕子(現・生活の党と山本太郎となかまたち)が改めて参考人招致を主張した。
河野談話の検証
安倍晋三は第1次政権時の2007年3月、談話の前提となる事実関係について再調査を実施する意向を示し、歴史学者などによる有識者機関へ再調査を委ねる案などが浮上していた[56]。
第2次政権発足後の2014年2月、菅義偉官房長官は、談話の根拠となった元慰安婦による証言内容を検証する意向を示し[57]、同年4月、政府は有識者による検証チームを設置して同年6月22日までに検証結果を取りまとめるとした[58]。
日本政府は2014年6月20日、「慰安婦問題を巡る日韓間のやり取りの経緯 ?河野談話作成からアジア女性基金まで?」を公表。談話作成に際して日韓両国間で文言調整した経緯を明記した[59]。報告書では、談話の土台となった元慰安婦証言に関する裏付け調査を実施していなかったことを指摘した[59]。
河野談話の検証: 談話内容への韓国の事前関与
2014年になって産経新聞報道により談話内容は原案段階より韓国側に提示され、韓国側の指摘に沿って強制性の認定をはじめ内容、字句、表現などの細部に至るまで韓国の意向を反映させたものであることが一般に公にされた[60]。
談話発表当時の政府は韓国側へは発表直前に趣旨を通知したとのみ説明しており[60]、発表当時、河野洋平官房長官(当時)は「調査した結果を淡々とまとめた」[61]、「談話の発表は、事前に韓国外務省に通告したかもしれない。その際、趣旨も伝えたかもしれない。しかし、この問題は韓国とすり合わせるような性格のものではありません」[62]と語っていたが、これは事実と異なる虚偽であった。また、こうした日韓の文言のすり合わせについては両政府によって一般には非公開とされていた[10]。
こうして日韓のすり合わせが終わり、河野談話がほぼ固まった1993年8月2日、日本政府は韓国の閣僚にも案文を伝えた。韓国閣僚はこれに一定の評価をくだしつつも「韓国民に、一部の女性は自発的に慰安婦になったという印象を与えるわけにはいかない」と強調したという[60]。
産経新聞は、当時の日本政府高官は韓国の意向・要求を大幅に取り入れてまとめたのだから問題は一件落着だと安心していたのかもしれないが、その後の展開は彼らの甘い予想を裏切り、韓国は談話に大きく介入しておきながら、談話の趣旨を拡大解釈し世界中で日本叩きの材料としていると報じている[61]。
韓国側との案分のすり合わせの際には、慰安所の設置および慰安婦募集への日本軍の関与、慰安婦募集に際しての「強制性」が論点となった。
前者について韓国側は、軍による「指示」または「指図」があったとの表現を要求したが、日本側は、慰安婦の募集は軍の意向を受けた業者がおこなったものとして、「軍」を募集の主体とすることは受け入れられないとし、業者に対する軍の「指示」は確認できないとして、軍の「要望」を受けた業者との表現を提案した。
最終的には韓国側主張に配慮し、慰安所の設置については「軍当局の『要請』により設営された」、慰安婦の募集者については「軍の『要請』を受けた業者」との表現を用いることで決着した[63][64]。
後者については、日本側が「(業者の)甘言、強圧による等本人の意思に反して集められた事例が数多くあり」との表現を提示し、韓国側は、「事例が数多くあり」の部分の削除を要求した。これに対し日本側はすべてが意思に反していた事例であると認定することは困難であるとして拒否した。
最終的には、当時の朝鮮半島が日本の統治下にあったことを踏まえ、慰安婦の「募集」「移送、管理等」の段階を通じてみた場合、いかなる経緯であったにせよ、全体として個人の意思に反して行われたことが多かったとの趣旨で「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して」という文言で調整された[63][64]。
報告書はまた、日本政府の調査によっても「強制連行」は確認できなかったことを指摘した[63][64]。
日本側原案 | 韓国側の要望 | 日本の対応 | |
---|---|---|---|
慰安所の設置に 関する軍の関与 | 軍当局の「意向」 | 軍当局の「指示」 | 軍当局の「要請」 |
慰安婦募集に際 しての「強制性」 | 「本人の意思に反 して集められた事 例が数多くあり」 | 「事例が数多く あり」の削除 | 拒否 |
元慰安婦への おわびと反省 | おわび | 「反省の気持ち」 の追加 | 「おわびと反省 の気持ち」 |
河野談話の検証: 検証に対する各国の反応
韓国
・6月23日[いつ?]、韓国外交部第1次官は別所浩郎駐大韓民国特命全権大使を呼び出し「河野談話を傷つけようとすればするほど安倍政権の信頼性と国際的な評判が傷がつく」と抗議した[66]。
中国
・6月23日、中国外交部報道局の華春瑩は「歴史を直視しようとせず、侵略の犯罪行為の否定すらたくらむ本当の意図が一層あらわになった」と批判した[66]。
アメリカ合衆国
・6月20日、アメリカ国務省の報道官は、「日本が近隣国との関係を改善する上で重要な節目となった」として、河野談話の堅持を要求した[67]。
・6月22日、『ニューヨーク・タイムズ』電子版は社説にて、談話の検証は日韓関係やアメリカの対中政策に悪影響を及ぼすものとして批判した[68]。
・9月24日、アメリカ合衆国議会調査局の報告書は、河野談話は、歴史的な事実に基づいておらず、韓国と協議した政治的な意味の文書であると報告した[69]
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外務省、トップページ > 各国・地域情勢 > アジア
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話
平成5年8月4日
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
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改訂履歴
なし
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