守るも攻むるも黒鉄(くろがね)の
浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城 日の本の
皇国(みくに)の四方を守るべし
真鉄(まがね)のその艦(ふね)日の本に
仇なす国を攻めよかし
石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)の
龍(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
弾撃つ響きは雷(いかずち)の
聲(こえ)かとばかり響(どよ)むなり
万里の波濤(はとう)を乗り越えて
皇国(みくに)の光 輝かせ
「出航用意!」のラッパに続いて演奏開始、護衛艦・潜水艦の航行シーンあり
演奏:海上自衛隊・佐世保音楽隊
平成27年度自衛隊観艦式 - 出港 行進曲 軍艦 (歌詞付き)3:05
https://www.youtube.com/watch?v=xYko2W3fjSY
Impress Watch 様、2015/10/15 に公開
旧帝国海軍バージョン、砲撃シーンあり (カラー、歌入り・歌詞付)
《軍歌》軍艦マーチ("Gunkan māchi "~March "Man-of-War"~) with Eng/Sub
Electric Eel Dog 様、2012/03/19 に公開
旧帝国海軍バージョン、砲撃シーン・艦載機発艦シーン・爆撃シーンあり (モノクロ、演奏のみ)
軍艦行進曲
Bohemian Archive in Japanese 様、2007/04/09 にアップロード
wikipedia-軍艦行進曲
「軍艦行進曲」(ぐんかんこうしんきょく、Warship March) または行進曲「軍艦」は、瀬戸口藤吉作曲の行進曲。一般に「軍艦マーチ」として広く知られる。
解説
1897年(明治30年)鳥山啓作詞の「軍艦」(初出からこの曲名、一部文献に此の城とあるも事実無根)に曲を付けて軍歌とし、その後、1897年(明治30年)頃に、准士官相当官の軍楽師だった瀬戸口藤吉が新たに作曲し、1900年(明治33年)に「軍艦行進曲」として誕生した(この当時、軍楽科の最高階級は軍楽師であった。昭和18年には軍楽少佐までの階級が設けられた。)。
初演は、同年4月、戦艦富士乗組の軍楽隊によって行われた。
戦前盛んに演奏され、1941年(昭和16年)12月8日の日米開戦時にも繰り返しラジオから流された。海軍省の制定行進曲であり、海上自衛隊でも、海上幕僚監部通達により儀礼曲の一として「軍艦行進曲」の名称で制定されており、進水式や出港式典などで奏楽されている他、観閲行進曲として奏楽されている。
日本を代表する行進曲の一つであり、広く国民に親しまれていた。
変遷
現在では海上自衛隊の儀礼曲に指定され、儀礼曲の統一についての通達によって
1.観閲式における観閲行進の場合
2.自衛艦旗授与式における乗組員乗艦の場合
3.自衛艦命名式における進水の場合
4.その他必要と認められる場合
に演奏することとされている。
使用
・台湾や東南アジアではこの曲の知名度も高く、CMのBGMなどとしても使用されたことがある。一方、中華人民共和国や大韓民国などでは公の場所でこの曲を歌ったり流したりした場合は他の日本の軍歌同様、非難の対象となるが、2005年には広州の幼稚園で知らずに毎朝流していた事が報じられた。
・1983年(昭和58年)には、時の内閣総理大臣である中曽根康弘が訪米した際、中曽根が大日本帝国海軍主計少佐出身であることからアメリカ海軍軍楽隊がこの曲を演奏して歓迎した。
・映画監督の古澤憲吾は「古澤といえば軍艦マーチ」と言われるほどこの曲を好み、数多くの作品で挿入曲として使用している(團伊玖磨によってアレンジが加えられた、テンポの速いものが多用された)。
・作曲家の池野成は、特撮映画『電送人間』(監督:福田純)で音楽を担当した際、ジャズアレンジを加えた軍艦マーチを挿入曲として提供している。
・西崎義展の作品では『ワンサくん』の第22話や『宇宙戦艦ヤマト』の再放送版第2話で使用されている。
・『ドラえもん』のてんとう虫コミックス14巻『ラジコン大海戦』の中で2番が使われている。ラジコンの戦艦大和が登場し軍艦行進曲を流しながら進むようになっていた。
・アニメ映画『火垂るの墓』で、防空壕内で蛍を飛ばした際に、帝国海軍の観艦式の幻想が登場しているが、そのバックが軍艦行進曲である。
・アニメ「名探偵ホームズ」の劇場版「海底の財宝」で軍艦マーチがそのまま使われている一方、テレビ版「海底の財宝」の同じ場面では別のBGMとなっている。またテレビ版第24話 「聞け! モリアーティ讃歌」において、替え歌が歌われている。
・1947年台湾で起きた二・二八事件で放送局を占拠した群衆が「軍艦マーチ」を流して蜂起を呼びかけた。
行進曲軍艦の碑
市民団体の手で「行進曲軍艦の碑」が1996年(平成8年)に建立された。神奈川県横須賀市三笠公園・記念艦三笠。片面に旋律、反対側に歌詞が記されている。旋律はト長調で記譜されている。
記念碑建立の際、市長の設置許可書はおりていたが、歌詞の内容が「好戦的」との理由で、横須賀市公園管理課の担当職員の一人が難色を示し、記念碑の除幕式の際は、職員の独断で、人目に触れないよう歌詞部分は黒のビニールで覆い隠された。またその後、歌詞の部分が何者かによりコンクリートで塗りつぶされる事件があった。その後有志によりこの歌碑は修復され、現在は歌詞が記載されたものになっているという[3]。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
改訂履歴
なし
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。